2017年09月27日

星野道夫 情熱に生きた写真家 死後もその想いは作品を通して受け継がれる


写真家・探検家として、
世界各国の素晴らしい風景を作品として残し続け、

夢と情熱に生きながら、
21年前に突如散ってしまった人がいました。

その人の名は、星野 道夫さん

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本日・9月27日は、星野道夫さんの誕生日。



そこで、今日はそんな星野さんについて、
少し振り返りたいと思います。





素晴らしいいのちと自然の風景をカメラで写し出す



星野さんは、1952年9月27日に生まれました。

慶応義塾大学に在学中は探検部で活動し、
熱気球による琵琶湖横断や最長飛行記録に挑戦したり、
アラスカのシシュマレフ村に渡航し、
クジラ漁の手伝いをしながら写真を撮るなど、
アクティブに活動をしていたそうです。



この頃から、写真家・探検家の片鱗は出ていたのでしょう。



大学卒業後、本格的に写真の道を歩みはじめ、
世界各国を渡り歩き、フィルターを通じて、
さまざまな自然の風景やそこに住む動物の生活を見てきました。

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また、詩人・エッセイストとしてもその才能を発揮。



数々のフォトエッセイを出版し、
また叙述的で含蓄のある言葉をたくさん残しています。






天才写真家を突然襲った悲劇



しかし、そんな天才を突如悲劇が襲いました。

それは、1996年8月8日午前4時ごろ。

TBSテレビ番組『どうぶつ奇想天外!』取材で、
ロシアのカムチャツカ半島に滞在していたときのことです。

この時、星野さんは、
自身の企画で使う写真を撮るために、現地でロケを敢行。

テントを張り、滞在していました。



その時、星野さんはなんと、自分が写真に収めるべきだった
ヒグマの襲撃に遭い、命を落としてしまうのです。





星野さんがヒグマに襲われた理由として、



・そのヒグマが人間に餌付けされた個体であった

・この年は鮭の遡上が遅れ気味で、食糧が不足していた

・星野さんがガイドの避難勧告を受け入れず、テントに滞在し続けた



などが挙がっていますが、証言に矛盾が多く、
当人である星野さんが死亡していることもあり、
本当に星野が避難勧告を受け入れなかったのか、
事件は回避出来なかったのかなどの真偽は不明だそうです。







死してなお輝き続けるその功績



亡くなってしまった星野さんですが、
その想いは作品や、その遺志を継いだ多くの人たちによって
今なお生き続けています。



その一部を紹介すると、

・龍村仁監督による映画『地球交響曲第3番』の第1部に「星野道夫編」として公開。

・桐原書店出版の高等学校向けの英語の教科書に、偉人の一人として掲載。

・NHKハイビジョン特集『アラスカ 星のような物語〜写真家・星野道夫 大地との対話〜』が放映

など。



さらに、2016年8月より
「没後20年 特別展 星野道夫の旅」
と題した写真展が開催されています。



2018年夏頃まで、全国を巡回して行われる予定で、
写真展示のほか星野道夫が使用していた
カメラやカヌーなどの愛用品も展示されるとか。





今でもその想いは生き続けているのですね。





展示会の詳細はこちらをご覧ください。






まとめ



写真家・冒険家・エッセイストとして、
素晴らしい写真や書籍を残した星野さん。

夢に生き、夢に散った彼の想いは、
今なお多くの人々を魅了しています。



本日は星野さんの誕生日という記念すべき日。

彼の想いや作品に想いを馳せてみてはいかがでしょう?



また、没後20年の展示会も全国で公開中。
もしお近くで展示会が行われる際は、
ぜひ足を運んでみてはいかがでしょう?



posted by クラン at 10:20| Comment(0) | CLAN STYLE速報ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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